2019年2月15日金曜日

CIAに暗殺された韓国・朴槿恵大統領のお父様 朴正煕

2013年5月10日金曜日
http://web.archive.org/web/20130610140424/http://reptilianisreal.blogspot.jp/2013/05/blog-post_1388.html

写真下は車智徹大統領警護室長で、室内トイレに逃れたが絶命した

暗殺現場となった宴会場 場所は、ソウル市宮井洞の中央情報部「安家」向かいにあったカ棟の秘密宴会場
朴正煕は左中央に座っていたが、正面から銃撃されて胸部に被弾し、頭部に確認射殺された。最後までその場を動かず、「私は大丈夫だ」と最後に言い残した。

ニュースでは、米国に内緒で、核施設を作ろうとしたから、CIAに殺された、と書いているところが多いが、私自身は、その問題だけで暗殺されたのではない思う。とにかくイルミ爬虫類人レプの言うとおりに動かないと、すぐ暗殺された時代である。彼は、韓国の人々のために尽くす政治をしていたのだろう。そう、真の植民地からの脱出だ。韓国は日本からだけでなく、イルミの各国から植民地支配をされていたが、彼はそれらの国々からの支配から真の独立を目指していたのだろう。

河信基の深読み http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/6931439.htmlから拝借引用

とはあれ、暗殺事件に最も衝撃を受けたのが、母親に代わってファーストレディー役を果たしていた朴槿恵氏ら家族である。
 21日に釜山大で講演した彼女は、これまで口をつぐんでいた当事の衝撃を、次のように語っている。
 「1997年のIMF危機の時に初めて政治をやろうと思った。青瓦台を出てから18年間、平凡に暮らしていたが・・・、青瓦台にいたときの次に来るくらい苦痛が大きかった。息をするのも苦しいほどであった。その頃、『平凡な家庭に生まれていたら』という手記集を出版したが、あまり売れなかったのも辛かった(笑う)。
 苦痛と衝撃から抜け出そうと努力し、90年代後半頃にようやく心が落ち着きを取り戻した。その頃、IMF危機が起こり、国が滅びそうになっているのをみて、私の心も再び崩れそうになった。政治のせいで苦痛を受けている国民のため、国家のために微力を尽くさなければならないと決心した。今もそれは変わらない」

 息をするのも苦しいほどの苦痛に18年耐え、国家国民が危機に瀕しているのをみて、政治を志したというのである。
 父母を奪った政治を志すことで、毀誉褒貶の激しい父親とその時代と向き合い、乗り越えようとしている。
 同時に、自分が存在している意味を確かめたいのであろう。

そして、今、彼女は、韓国の大統領になった!

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